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明日はついにEC4回目の予定。

数日前から調子はグー
足踏み体操しても息があがらないし、きっと血液状態も
回復してるでしょう
今めっちゃ調子いいので、明日からたぶんまたグルグル
なんでしょうけど、しょうがないしょうがないと軽く
思える幸せ
3回も同じような目にあってるのに、未だにあの静かな
点滴のあとに調子悪くなるのが信じられな~い

方や、自分の親友が今体調を崩していること、兄が風邪で
早退してきてものすごく調子悪そうなこと、夫が会社の
重圧で精神的に苦しい時であること、が心配
私も頑張ってくるから皆も元気になりますように。
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2007.02.27 体温
『体温が37℃位あるときが、免疫力が高いらしい』

入院しているときに、向かいのベットの方の旦那さんが
お見舞いに来て、熱がなかなか下がらなくて心配していた
奥さんに、そんな話をしているのが聞こえました。そのとき
『じゃあ、私っていい感じ
と思って、今も信じ続けています。

ある方のブログで同じような内容を見かけ、書き込みあった
のが、ちょうどわたしの入院時期と同じだったので、きっと
その旦那さんも、その方と同じ番組を見てたのかな

今の平熱は36.5~37.0℃あって、学生の頃は朝36.0℃以上
あったことなく、37.0℃あると既にやや調子悪い位だった
から、37℃は平熱の範囲内だと今まで思ってなかった。
ここ数年インフルエンザの予防接種打つ前にする検温で
いつも37℃あっても毎年びっくりして絵文字名を入力してください他に問題ないし
午後だから…と思ってた。平熱って変動するものなのかな。

入院初日も37℃くらいあって内心ドキドキしてた。主治医
からは風邪だけは気をつけて!と口すっぱく言われてたのに
入院前の1週間位風邪気味で、なんとか調子を整えてきた
ところだったから。でも、病気になって体温をまめに測る
ようになってから、自分の37℃って普通だと思っている。

今体温高めなのは病気のせいかな?免疫あがってるなら大歓迎

こんな体温の話を母としていたとき、母がこんなことを。
『子供の頃○○の体温が35℃位しかなくて、子供の体温って
もっと高いと思ってたから、学校の提出書類などには
36度位にしておいた。今思えばあなた寒かったのかもね』
って、母が何気に詐称してたことにビックリDomo-kun
たいしたことないけど、母の意外な一面でした
2007.02.26 傷の縫い方
手術前の説明の時、主治医に「傷は縫うんですよね?」
と、極めて単純な質問をしてみた。少々愚問だと
思ったけど、小さなことでも聞いとかないと
『もちろん、内側は溶ける糸で細かく縫って外側も
 ボンドみたいのでちゃんととめるから心配しないで』
ちょっと記憶があいまいになってきたけど、こんな風に
説明され、「なるほど」と納得した覚えがある。

手術後見てみると確かに傷表面がボンドみたいなので
とめられていて、水に濡れても大丈夫だから、退院後すぐ
お風呂に浸かっても良く、泡で優しく患部を洗ってください
との説明を受けた。

それでも最初の数週間はビビッて患部を湯船につけなかった。
なんちゃって半身浴で苦にもならず。
 
同病さんの闘病記や掲示板を見てるうちに抜糸という
言葉が気になり始めた。病院によって、傷の処理方法は
いろいろあるみたい(抜糸はもちろん、消毒したり
ガーゼ交換あったり)だけど、その中でも退院までに
抜糸したとか、退院後最初の通院で抜糸したとか。

あれ!?私忘れられてる?
そう思って、術後3週間程たった受診日、主治医に
「抜糸はしないんですか?」と聞いてみた。
『しないよ、あれっ?聞いてない?ちょっと見せて』
そこで、ボンドみたいのがまだしっかり残っているのを
発見されこれもどんどんはがさなきゃだめだよ!
あれ~、聞いてない???長く貼りっぱなしだとシミ
になるっていうし、早くはがしてはがして!!』
その後の処置は看護師さんにバトンタッチ
剥がすのは知らなかった手術からだいぶたっていて
自然にはがれてきていたので、剥がしていいか聞こうと
思っていた矢先、手術前に聞いた説明の意味もやっと
ちゃんとわかった。そういうことか、なるほどね…
つまり、傷の内側を溶ける糸で縫って、傷表面も絆創膏で
覆うようにしておくって、ことだったらしい。
傷というとフランケンシュタインみたいなのを想像して
たので、医学の進歩にホントびっくり!

ボンドみたいなのも、夜お風呂に入ってふやけたら
簡単にきれいにはがせ、傷も問題なく一件落着
なにはともあれ、よかったよかった。
2007.02.26 MRI
手術前にやったMRIの思い出。

閉所恐怖症でもないし、30分位じっとしているのは
全然苦じゃないし~と甘くみてたら大間違い。
うつ伏せで30分以上じっとしてるのって結構辛いのね…
何が辛いって、顔を伏せておくわけにいかないから
左右どちらかに傾けたままでいること。
耳栓もしたし、撮影中の工事現場のような騒音も気にせず
うかつにも眠っていたら…よだれが大変なことに!!
起きたときにはもう惨事はすすんでおり、下にしている
顔の感覚がおかしくて、ちゃんと口が閉じられてるか
わからない

早く終わって~ますます水溜りが広がっちゃうよぅ

祈りも空しく、途中で入れる造影剤の穿刺にも手こずり
『よだれが…』と言っても、穿刺に軽くテンパってた
看護師さんには軽くスルーされた

よだれがベトベトのまま人前で起きるのは悲しいので
何とかごまかして起きたかったけど、逃げ道なし
胸もはだけてることですし、せめて男性だけは私の
視界から外れてほしかったっす

今度MRIやるときは頭の下にタオル敷いていいか聞こう
と思うのでした

MRI思いがけない落とし穴にはまってしまった…
2007.02.26 父の趣味
20070226112223


父は昨年から蕎麦打ちにはまって、道具も一式揃えた。
私が嫁に行ってしばらくしてから始めたので、
当初はイマイチな蕎麦を毎週のように食べさせ
られたと母・兄はうんざりしてたな。
今は中国から帰ってくる度に作っていて
今回帰国した際にも10日間で2回作った
なかなかの出来で、おいしかったよ、お父さん(^-^)

2007.02.25 初モブログ
20070225184300



プリンといちご。
このプリン400g(普通の4倍位)あるけど
写真じゃよくわかんないな

2/21は午後の検査だったし、確定申告にも行かなくては!
と思い、午前は確定申告、午後は病院、今の私にとっては
ハードスケジュールを入れてしまった。2/19~2/22に旦那さん
が中国から帰国していて、付き合ってもらおう!ちょうど
いいと思ったわけで。

初めての確定申告で、きっと時間がかかるだろうと早めに
出て行ったにもかかわらず、会場は思いの他混んでいたし
昨年の退職と医療費で、簡単なPC入力による手続きです
とのインフォメーションとは裏腹に1時間半もかかって
しまった絵文字名を入力してください見慣れない言葉の数々の解読に戸惑ったので
しょうがないきっと手計算よりは簡単だったはず

時間があったら病院前に旦那さんと外食しようと思って
たのに撃沈

私が病院に送って、旦那さんは美容院に行った。
こんな日に限って待ち時間は全然無くて、旦那さんが戻って
来る前に会計まで済んでしまった。

白血球はまた下がってたのでグラン注射

午前中の疲れで午後はもうヘロヘロ
待合室では居眠りし、ロビーで座って待っているだけでも
しんどくて、迎えに来てくれるなり車に倒れこんだ。
しばらく話すこともできずボーっとしてた。

でも久しぶりに旦那さんと過ごせてうれしかったな
次に会えるのは5月かなぁ。
グランが頑張ってくれて白血球も回復して、予定通り
2/7に3回目EC決行Domo-kun
前日あまり眠れなくて、点滴後どっと疲れが出た
またご飯食べそびれるのが嫌で、病院着く間際に早目に
食べようとしたけど食べる気がしなかった。それでも
病院に着いたらお腹空いちゃって、とりあえず大好きな
抹茶牛乳をゴクゴク飲んで紛らせた。

また車に乗ってから食べるのは良くないかなと思って
自宅から持参したおにぎりを病院内で食べた。意外と
食べられた。でもパンの方がよかったなぁ。

点滴後の疲れは初めて。副作用というより寝不足のせい
だと思う。だってその後気持ち悪さが来るまでは結構
時間があって、復活も早かった

ただ今回は血液検査前に貧血キテルと感じた。
調子戻ってくると少しでも体を動かそうと、家の中で
足踏み体操(←勝手に命名)をしているのだけど
それをしたときの息の上がり方、終えたあと妙に
グッタリするのが気になった。貧弱だなぁ
EC2回目投与から2週間後の1/31、血液検査の為通院

白血球に加え、赤血球も減っていた。貧血ほどではなく。
白血球1500 好中球199のため注射決定

前回打ったノイトロジンは副作用で筋肉痛が出るかもしれない
との説明どおり、お尻が痛くなる症状が出たので、グランと
いう注射に変更になった。そんなに我慢できないほどの
痛さじゃなかったし、白血球は復活させてくれたから
そのままでも…と少し思ったけど無理は禁物です
グラン、頼んだよ
年始は予約がとれず、2回目は1回目から4週後の1/17だった。

血液検査の穿刺ではさんざんな目にあった(過去ログ参照
けど、白血球も無事上昇し、点滴OKサインが出た

点滴終了予定が2時頃だったので、点滴後に昼食にすることに
して、点滴開始腹ペコのほかは問題なく終了
薬ではなくお腹空き過ぎて気持ち悪くなりそうだった

吐き気が来る前に食べなきゃと思い、車で移動中におにぎり
・バナナ・野菜ジュースを摂ったすると、この前
より早く気持ち悪くなった
お腹空き過ぎで車に乗ったから酔っちゃったかなぁ
よくわからないけどこの日は早くもダウン

この後は2日間3食重湯で過ごした。すると嘔吐は1回もせず
吐き気も弱かった気がする。おかゆもおいしく感じる
ようになり、イチゴもおいしかったので、多少
むかつきが残りながら早いうちからどんどん食べたら、
結局1週間程スッキリしなかった
残念
2007.02.24 ものもらい
ふと思い出したこと。

退院前日の夜ものものらい(結膜炎?)になった。
だいぶ調子が良かったので、本読んだり、TV見たり
ためていた日記を書いたり、久しぶりに目を酷使して
疲れてたし、抵抗力も落ちてたからかな??

少しかゆいなぁと思って無意識にこすったら、どんどん
目が腫れて活字読むのが辛くなってきた。

このときは入院しててよかったぁと思った。
すぐに看護師さんに言って先生に診てもらい、
目薬をもらって1時間位で腫れはひいた。
あぁ、びっくりした
EC投与から16日後の1/7に、血液検査に行った。
朝家を出る前の体温は36.8℃、私としては平熱
の範囲内だったけど、前日あたりから喉が痛く
なっていた。

病院で熱を測ると37.4℃に上がっていた。
血液検査結果が出たので診察室に呼ばれ、喉の痛みを
伝え診てもらうと、少し腫れているとのこと。
白血球も2100まで下がっていたので注射することに。
主治医が『なんで~今日は皆だめだぁ~
と悲痛な声をあげていた。私だけではないらしい
病院内でノロウイルスが問題になったりしていたので
『先手必勝白血球を増やす注射(ノイトロジン)と
 抗生物質の点滴をします。渡してある抗生物質
 (バナン)はまだある?それも3日分全部飲んで。
 それでも高熱が出てしまうようなら、病院来て。
 病院来る方がいろいろもらっちゃいそうだから
 出来れば来ないほうがいいけど!でも熱下がら
 なかったら絶対来て!いい!?』
と言われ、は~い、わっかりました~と従った。

おかげさまで帰宅後も特に熱があがることもなく、喉の
痛みもひいて快適に過ごせたよ。先生ありがと

2007.02.23 血液検査
病気になってから、血液検査なり、造影剤を入れるなりで
注射針を刺す事が多くなった。手術後はリンパ節取ったために
左腕は穿刺禁となったので、穿刺の負担はすべて右手

もともと血管が細く血液検査は苦労する性質で、志願しても
献血をできたことは一度もないし、点滴も普通安定しやすい
場所で取ったことはなかった。看護師さん泣かせです

それにしても2回目の抗がん剤前の血液検査ではえらい目に
あった4回も失敗したよ、検査のおじさん…
刺してからグサグサ容赦なく探るし痛いよっ
結局隣の人に変わってもらってなんとか取れた
そのあと抗がん剤もあるからあまり血管を使わないでおくれ~

抗がん剤のDr.穿刺では今のところ失敗1回
上手くいったと思ったら、固定の時にずれたみたいで
先生が『あっ』って。でもこれは血管に辿りつけた
から許してあげる。そのままにしたら大変なことになるし。

穿刺部分を温めておくのはかなり有効だと思う。手袋して
ホッカイロ握ってたときはかなりスムーズだった。これから
あったかくなるから楽になるかな?薬で血管傷むけど
頑張れ私の血管!!
実家でのインターネット環境は、兄が用意してくれた。
旦那さんとの通信手段にメールとメッセンジャーを
利用することもあって、パソコンのヘビーユーザー
であるお兄ちゃんに実家で私がパソコンを使える
環境を整えてもらった。

兄なりにも、私が言い出す前から私が実家でネットを
使えるようにしてあげようとしてくれていた。ただ
自分のPCはかなり自分で使うし、2台目あっても良い
と思っていたと言って、ノートパソコンを用意してくれた

おかげさまで、ひきこもり生活もかなりenjoyできてる
ちなみに乳がんに関する情報収集のきっかけを作って
くれたのも兄ちゃんだった。PC説明してくれる中で
『お前が興味があって調べたいならこういうサイトも
 あるから』と、乳がん系のサイトにいくつかアクセス
してくれた。それまで事実のみを受け止めるのに精一杯で
見たいけど怖くて見れないと思っていた私の背中を
軽く押してくれた形となって、それからいろいろ検索
するようになり、現在ブログを書くまでに至った訳です。
まぁ、にいちゃんとしてはそんなつもり全然なかった
はずだけど

2007.02.23 リハビリ
退院するまでに、入院以前とほぼ同じ位まで腕の可動域は
回復した。ただ、毎日動かさないとどんどん傷が固まって
固まってからでは遅いので、3ヶ月間は続けるように言われた。
今まで抗がん剤でイッちゃてるとき以外は多少痛くても続け
もうほとんど違和感がない

やり過ぎもいけないと言われても、はやく良くなりたい
ばかりに最初は少しやり過ぎたときもありました。
するとやっぱりそのあと腕がだるーくなっちゃって
翌日は動かす気にもならない状態なので悪循環
や~っぱり焦りは禁物です・・・

最近はすっかり忘れてたけど、最初のうちは上腕の内側の
神経が麻痺して結構違和感が強かった。体にフィットする
服や袖のある服を着て、そこに触れると擦れて痛気持ち悪く
その後すごく疲れるので、家でずーっとパジャマでいた。
神経質に気にしすぎだったかも。忘れたころに良くなった。

とにかく術後はあせらずゆっくり療養が一番!
当時もそう思っていてもついつい頑張ってしまうのでしたぁ
2007.02.23 副作用
すでにEC3回目まで終えているので、副作用をまとめると

①吐き気 2~3日続く 
     乗り物酔いみたいで、下を向いても気持ち悪くなる
     目がまわる~って感じ
     吐き気止めの飲み薬を服用して多少軽減
     ほとんど食べずにじっと寝てやり過ごす

②だるさ 吐き気と同じくらい続く
     
③便秘  飲み薬で調節。薬がなかったらキツイ
 
④脱毛  1回目投与のあと10日後くらいからキタ
      最終的には全部は抜けず、落ち武者化する
      2回目、3回目のあとはほとんど抜けない

⑤骨髄抑制 白血球や赤血球が減少
       白血球増やす注射を打って改善する
       ノイトロジンは筋肉痛の副作用が出るので
       2回目からはグランに変更した

⑥頭に皮膚に赤い吹き出物がい~っぱい絵文字名を入力してください
   3日くらいで無くなった。オロナイン塗ってみた。
  2回目の後のみだったけど、主治医曰くたまにいますって

⑦口の中がまずい 1週間位
         何か食べてると落ち着くので食べてしまう
         肥満予防のため、途中からガムなどで紛らす
         ようにする

⑧シミが濃くなる 手のひらに今まで無かったシミが現れた

⑨親指の爪の付け根が黒ずんだ

吐き気は長く続いている方ですね、多分。
一番最初の時に、薬を飲むためにも食べなきゃと朝ごはんを
食べたら、結局リバース。このことも主治医に話すと、
『食べられないうちは、無理に食べなくていいよ!むしろ
みんな抗がん剤受けてるのにプクプク太っちゃって困る!!』
と言われ、確かに…と納得した。食べられない数日間より、
食欲旺盛and運動不足の日数の方が断然多いもんね
12/20 初めての抗がん剤
ECとは、エンドキサンとエピルビシンという2つの抗がん剤を
併用した治療法。投与前に、血液検査、血圧・体温測定をして
先生の診察を待った。特に問題なく点滴のため処置室へ

初めての抗がん剤投与で、薬剤点滴の前に吐き気止めの点滴
をすることになっていたけど、気持ち悪くなるのが怖くて
昼は何も食べなかった。

穿刺は医師がやることになっているらしい。抗がん剤は血管の
外に漏れ出してはマズイ為、らしい。
その日は関西弁の50代位の医師で、薬のことなど話ながら
軽く笑わせてくれて、リラックスしたまま穿刺終了

点滴は全部で1時間半位だった。
吐き気止め(デカドロン、カイトリル)30分
エピルビシン 5分
エンドキサン 60分
液漏れがないか、穿刺部分を気にして緊張したけど、気持ちも
悪くなることなく無事点滴終了
『お腹すいた終わったよ~
とヘラヘラ処置室から出てきて、待合室でうたた寝していた
母を起こして、家路についた車1
 
退院後初めての受診日の12/13、病理の結果が出た。
予約3時のところ、先生に会えたのはそれから4時間半後
の7時半を過ぎていた。他の診療科はとっくに閉めていて
乳腺外科外来にも私と母の他、あと数人となっていた。
待った甲斐あったというのか、病理結果は予想の中でも
良い方だった

湿潤性乳管癌(特殊ではない、やっぱり中身が壊死状態だった)
腫瘍の大きさ:3.5×3.2×1.8cm
リンパ節転移の個数:0個/3個中
腫瘍の悪性度:3(顔つき悪い 増殖早く、異型度高い?)
ER(エストロゲン受容体):陰性
PgR(プロゲステロン受容体):陰性
HER2:1+(陰性と考えてよい)
脈管(リンパ管・血管への侵襲):なし

一般的に言えば初期癌ではなく、ホルモン療法も効かず
年齢的なことから中リスクといった感じらしい。

心配された追加手術も5mmの安全域が確認できたので
しないことになった。結局術前の予想とほぼ変わらない
結果で、今後の術後治療についても術前に説明を受けて
いた内容とほぼ同じだった。ただ、選択するのは自分
なので、どうするか聞かれた。

私の選択は、
抗がん剤治療(EC 4クール タキサン系 4クール)と放射線治療
できるだけのことを、ガッツリやることにした。
 
この日の主治医は、今まで見た中で一番血色が良く
ハイテンションだった外来も終盤で
ほっとしてきてたのか、壊れてきてたのか…
私の病理結果がそれほど話しにくい結果ではなかった
からだと思いたい
2007.02.20 退院まで
手術翌々日。夫が中国に戻る日だった。
先日同様主治医が朝猛スピードでやってきて
傷を見て『退院する?』と聞かれた。
確かに昨日からもう特にすることがなくて
暇になってきていた。それでも少し不安で
迷っていたら『ここにいても暇だろうし、
家の方がゆっくりできるでしょ?』
と言われ、帰ることにした(単純?ぱんだもびっくり
夫と夫の母が、夫を駅に送る前に病院に寄って
くれて、退院のことも報告できたりんご

下半身入浴の許可が出て、午後に浴室を
予約した。夕方例の夫妻がお見舞いに来て
くれるというし、髪も洗いたかったので。
でも30分間って短い~絵文字名を入力してください
すっかり疲れてしまった。背中の管は明日
抜くのでそれにも気を使いながら頭を洗った
のは大変だったさっぱりしたけど。。。

翌日11/30、朝食も間食し、退院。
実質4泊5日の入院だった。
退院後は当分実家にお世話になることに決めて
いたので、両親に迎えに来てもらい、実家にGO車1

2007.02.20 手術翌日
熟睡はできなかったけど寝たり起きたりしながら
朝を迎え、だいぶ体が軽くなってきたことに気づいた。
朝食も半分くらい食べ、食べるとどんどん元気になる
気がした

回診前に慌しく主治医の女医さんがやってきて、
胸部を固定してたガーゼをとって傷を見て、
『よし、いい感じじゃない?ガーゼ取ります』
と言って、看護師さんが処置してくれた。
そして主治医は風のように去った
消毒するわけでもなく、早速術後のリハビリをやる
ように指示された。

恐る恐る傷を見ると、胸も全然変形してないし
後々来る回診の医師や看護師さんが言う通り
“きれいな傷”という印象だった。
先生!頭もきれると思ってたけど技術もいいのね!
貧乳なのになんとかうまく整えてくれてありがとう。
家族が受けた話では、切除部位の迅速診断では
末端に一箇所怪しい部分があって、再手術の
可能性もないわけではなかったけど、ドレーンも
入ってこなかったし、ものすごくテンションが
上がった

点滴も午前中に終わり、背中に入った硬膜外麻酔用の
薬剤(小さいペットボトルみたいの)を首からぶら下げて
自分で歩いてレントゲンを取りに行ったり、お見舞いに
来てくれた両親や夫と病院内をうろうろして、おやつに
プリンやら、ヨーグルトを買ってもらった
 
この日は熟睡できた。同室のひとのいびきも全然気に
ならないほど
病棟ベットに戻って、皆が声をかけに来てくれた。
安心のせいか、勝手に涙がどんどん出た。
意識がはっきりしてくると、首・肩が神経痛とでも
言うのか妙な痛さで辛かった。まだ硬膜外麻酔・
点滴・尿管・酸素吸入がはずせないし、胸部も強く
圧迫していて体が自由に動かせない為の痛さだった
のではないかと今は思う。緊張の為、必要以上に体を
こわばらせてた気がする。腰も痛い。それに寒かった。

病棟に来てしばらくは鼻水と涙が止まらず、母と夫
に1時間近くふいてもらい、猛烈に喉が渇いたけど
2時間ほどは飲んではいけないと言われ、かなり
頻繁にうがいをさせてもらった。介護されるお年寄り
はこんな感じなのかなぁとぼんやり思った。ここまで
強気で来たけど、初めて本気でキツイと思い不安
になった。
 
気持ち悪さがなかなか抜けなかったので看護師さん
吐き気止めをもらって飲んだ。

術後時間がたっていたので、普通の夕食が出た。
まだ自分で体を動かすことができず、母に少しずつ
食べさせてもらった。何か食べなきゃと思って無理
して少し食べた。味は全然わからなかった。
 
動けるようになったら弾性ストッキングを脱いで、
尿管も取れるというので、暑くなってきたし少しでも
拘束するものから開放されたかった私は、また
ちょっと無理をした。歩行訓練を打診しにきた
看護師さんに「大丈夫です」と言って起き上がった
ら、急激に気持ち悪くなって結局リバース・´з`・
無理は全く意味ないっす。

それから数時間後に再チャレンジにて成功。
私は術後の回復が悪い方だったと思う。
終わった今だから言えるのは、焦りは禁物、遅くても
必ず回復してくるから、心配しないでゆ~くり
するのが一番だということ。
こんなヤレヤレな翌日には、かなり回復して売店にも
行ったし、ご飯もぼちぼち食べたのでした。
9時からの手術だった。
両親、兄、夫、義母が来てくれて、手術が終わるまで
皆で待っていてくれた。夫と父は、私の手術のために
中国から来てくれたのですりんごありがたや、ありがたや
多くの人に支えられ、気持ちの大きくなった私は
早々に手術着に着替えて、皆と話しながら廊下でうろうろ。

そのうち病棟看護師さんが迎えに来た。私が入院した病院
では手術室まで歩いて行く事になっていたので、皆でぞろぞろ
手術室入口まで行き、そこで皆に手を振り、病棟看護師さんと
手術室に入った。

朝一の手術で、手術室の中もまだ準備最中といった感じだった。
私の手術する部屋に案内され、そこで手術室看護師さんに
引き継がれた。少し来るのが早かったので椅子を出して
もらって座って待っていた。手術室内で普通に座って
キョロキョロしてる自分がおかしかったりんご(えっ?)

だんだん人が増えてきて、準備ができたので手術台に上がる
ように支持され(これも自分でよいしょっと上る滑稽さに
妙におかしくなった)次々にいろんなものがつけられた。

まずはかなり痛いと脅された硬膜外麻酔。背中の神経を
包んでいる膜(硬膜)と背骨(脊椎)の間の隙間に直径
0.85mm程度の極細の管を通すため、背中に太い針を刺す
ので、かなり痛いけど針が刺さっているときには動いたら
危険!シビレが出たらすぐに知らせるように!など説明
され、動かないように2人に抑えられかなりビビッてた。
でも、病室出発前に向かいのベットのおばちゃんが、
『そんなに痛くないから大丈夫だよ』と言ってくれた通り、
そんなに痛くなかった♪手首の穿刺の方が私は痛いと思う。
上手な麻酔科医だったのかなぁ。よかったぁ。

その他、心電図、血圧計、指先にせんたくばざみ式の
センサー、点滴。指先のセンサーが痛かったので言ったら
他の指に変えてくれた。痕がついてて血が止まりそうだった。

いよいよといった感じで、口元にマスクがかけられた。

『りんごJAMさん、手術終わりましたよ』の声で目覚め、
「え?はぁ、はい」と全くキョトンだった。

つまり、マスク後はパッタリ記憶が途絶えて起きたとき
には終わってた。私の意識と自発呼吸を確認してから
病棟に戻すためベットが動き出した。すると突然酔った
みたいに気持ち悪くなり、「スミマセン…吐きそう…」
と言ったけど、昨日21時以降飲まず食わずで何も
出ず、動かさないで~と思いながら病棟に早く着きたかった。
2007.02.18 入院
今まで大きい病気も怪我もしたことがなく初めての
入院だった。11/27手術で退院は12/1位と言われていた。
11/27が月曜日だったので、病院の手続き上11/24入院。
金・土曜日は外泊で自宅に帰り日曜の夜に病院に戻り、
手術に備えて安定剤を飲んで寝た。でも、1~2時間ごと
くらいに目が覚めていた。安定剤(眠剤?)を服用する
のは初めてで、もっとグッスリ眠ってしまうものかと
思っていたので、全然眠れないのに焦ってしまった。
やっぱ緊張してたんだなぁ。
2007.02.17 家族
私は2005年3月に結婚した。
結婚後彼の実家に入り、彼と彼の母との3人
暮らしをしていた。彼の父は12年程前に
肺がんを患って亡くなったそうだ。

2006年5月、夫が中国で駐在員として働くこと
になった。半年以内を目処に私も後から同行する
つもりで準備を進めていた。
結局行けなくなっちゃったけど…
病気がわかるまでの半年間は、姑との二人暮らし
だった。

実家は車で40分位の、とある田舎にあり
母と兄が住んでいる。父はというと、
夫と時期を同じくして、中国駐在となった。

大阪に夫の姉家族がいて、姉は私をとてもかわい
がってくれて、この病気に関しても超強力な
協力者となってくれている。姉の息子が今2歳
でものすごくかわいく、私にもなついてくれる。
 
以前から親身になっていろいろ考えてくれる
私達の親位の夫妻が、今回の件に関しても
とても力になってくれている。

不謹慎だけど、病気になっていろんなことが
ある中で、私は本当に愛されているのだと
感じることができて、幸せだ。
手術前にはいろんな検査をした。
 触診・エコー・マンモグラフィ・MRI・CT
3D-CT・PET-CT・胸部レントゲン・心電図
血液検査・尿検査

そして以下の診断を受けた。

診断名:左乳癌
病期:ⅡA しこり2.1~5cm リンパ節転移なし
      遠隔臓器転移なし
     ホルモン感受性(-)HER2(-)
手術の方法:乳腺部分切除
      センチネルリンパ生検
術後補助療法(予想):抗がん剤・放射線治療

触診やマンモグラフィではガンとの診断は
つけにくかったそうだ。腋窩リンパ節の腫れも
触診では認められず、しこりの大きさから
考えても腋窩リンパ節転移を強く疑っていろいろ
調べたが、転移はなさそうということで
リンパ節郭清は行わず、センチネルリンパ生検
適用となった。

ただ実際開けてみて、予想以上に悪い場合もある
ので、そのときは全摘などもあり得ると、かなり
説明を受けた。
2007.02.17 いのち
今日、ふとテレビをつけるとテレビ寺子屋がやっていて
講師のプロフィールを聞いて、つい見てしまった。
その人は自分が経験した病気や怪我により、
命について考えるようになったというような話をしていた。
(私なりの解釈です、ずれていたらすみません。。。)
彼女が経験した病気に乳がんがあった。
そこで彼女の言っている事に共感したことがある。

ガンになって死を身近なものとして意識した時から
生きることの見え方が変わった

『○年後に会いましょう』と言うときへの躊躇

一日一生
病んで知って豊かに生きる

後ろ向きに捉えるつもりはさらさらないけど、
病気になったことで未来を想像できない日々が
しばらくあった。でもこの病気をしたことで
生きることに貪欲になったと思う。

もうひとつ付け加えさせてもらうなら
私のモットーは『一日一笑』
笑うことは体にも心にも良い、と信じている。

2007.02.16 手術の決定
最近の乳がんの手術に際し、術前に抗がん剤を
する方法(術前化学療法)と、術後に補助療法
として抗がん剤をする方法(術後化学療法)がある。

術前化学療法では
・腫瘍をできるだけ小さくし、乳房温存率を高める
・抗がん剤の効果がみえる
というメリットがあり、大きな腫瘍の場合は
適用する場合が多いということで、4cm程の
腫瘍を持つ私にも選択の余地があったのだけど、
以下の理由から手術を先行することになった。

①<エコー・CT・MRIの画像上腫瘍の中身が写らない
 理由として、急激な成長により中身が壊死状態
 であるか、特殊型と呼ばれる乳がんの可能性も
 少なからずある。術前に抗がん剤をやっても
 それほど腫瘍は小さくならなそう
②腫瘍の位置、形状
 胸のふくらみがあまりない上部に位置しており、
 乳房内に他の腫瘍や、リンパ節転移は見られないので
 1/4切除の温存術で、それほど形が崩れることはない
 
こうして11月27日、手術することになった。

家族などと話し合った結果、セカンドオピニオン
(他の医師に意見を聞くこと)をすることになり、
乳腺外科のある総合病院に検査資料などを持って行った。
母についてきてもらった。
 
予約は12時半だったが、先生に会えたのは3時だった。
医師はおそらく30代であると思われる女医さん。
失礼だけど、待合室に貼ってあった写真を遠めに見た
感じでは50代に見えたので、若くて細くて白い先生に
少しびっくりした。
結局今後の主治医をこの女医さんに決めたのだが、
この疾患に関しては主治医が同性でよかったと
のちのち思うことになる
 
悪性腫瘍であるとの診断、手術方法に関しては
今まで行っていた病院の医師と同意見だったので
改めて納得することができた。ただ転院の決め手
となったのは以下の理由から。

・若年性(35歳以下)のため、多いとされる40~
 50代の乳がんとは扱いを変える(ハイリスク)
 抗がん剤は必須
・妊娠・出産に関しての質問への、細かい応答
これらのことなどなどを、簡潔かつ的確に話してくれた。
さすが専門医という、納得感も強かった。

待ち時間からもわかる通り、かなり患者も殺到
していて(この日は特別混んでいたらしい)
診察室に入ってからも緊張感や慌しさはかなり
伝わってきたが、だからといって患者への対応には
決して手を抜いていないところが気に入った。
直感的にこの先生の下で治療したいと思えた。

気を張って質問しながらバシバシ話を聞いていく
私のそばで、不安そうにしている母に
『お母さんの方がびっくりされたかな・・・』
と、先生が少し声をかけてくれたのも
ささいなことであったが、うれしかった。
家族の支えなしには、病気と闘えない


2006年5月 自己触診にて左胸に2cmほどのしこり発見
     近くの病院にて、触診・エコー・マンモグラフィ
     良性の腫瘍との診断(のう胞または水胞?)    
     様子を見る

   7月 しこりが硬くなったので、前回と同じ病院受診
     違う先生に診てもらう(触診・エコー)
     腫瘍内の水又は膿が抜けてきたから硬くなった
     との見解。自然治癒するかもしれないから
     また様子を見ることに。

 10月26日 明らかに大きくなっており、切除を決意
     同じ病院で、更に違う先生を受診
     触診・エコーにて、以前の先生同様
     良性腫瘍との見解。
     
 10月27日 術前検査として、乳腺組織診検査
     細い注射針で細胞を、太い針で組織を採取

 11月6日 術前検査として胸部MRI
     
 11月9日 乳がん告知を受ける
     組織診にて癌細胞が見つかった

  突然のドンデン返しにも、取り乱すことはなかった。
  しこり発見から乳がんと診断されるまでに
  いろんなことを考え、どこかで覚悟していたの
  かもしれない。
  それでも、一人になったら涙がポロポロ出た。
  

      
はじめまして、りんごJAMです。
2006年、11月9日に乳がん告知を受けてから約3ヶ月。
ようやく少し心に余裕が出てきたので、
ブログを書いてみることにしました。
これからずっとついてまわることになった病気のこと、
病気になったから気づけたいろんなことなど
綴りたいと思います。
どうそよろしくお願いします(^0^)
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